資料詳細

国信神社の放生会神幸祭

基本情報

項目 内容
所蔵館 鳥取県立博物館
管理ID 15802
行事名 国信神社の放生会神幸祭
行事名カナ クニノブジンジャノホウジョウエシンコウサイ
行事日 10月15日※平成15年は遷宮のため特例として10月12日
所在地 西伯郡大山町国信
行事概要 国信神社は八幡宮であり、八幡祭祀に於ける独特な儀礼を持っており、境内の一部に神宮寺があり、神仏習合の行事が残っており「放生会」という仏教の不殺生戒にある。捕らえた魚鳥を山野水に法修して放つ事の慈悲行であり、これに列して神道儀礼するものであり延久2年(1070年)8月15日宇佐八幡宮「放を生会」の式を修行し、持ち帰って伝えられている。また、建久2年源頼朝の命により佐々木四郎高綱が源家の武運長久の祈願所として当社を再来、御供料として、神田40丁を御寄付新たに40石の社領を寄延、天正年間に付末吉城主山中鹿介と毛利方との兵火により社領焼失。その後建立されたが、其後米子城主中村伯耆守神馬神領120石寄付せられ、9月の祭礼には家臣が大勢来られ盛大に競馬、流鏑馬の行事が行われ、旧藩主池田氏より社領16石4斗の御寄進を受け、汗入郡の役大社として毎年風雨・旱害・疫病の祈願所として郡内の神官が集まり盛大に祈願大祭が執行されていました。以上のように八幡信仰としての放生会の開催、近年になって江戸時代米子城主中村伯耆守神馬、社領の寄附、家臣の競馬、流鏑馬等が村民の要望により伝統的神事として取り入れられ、永い世代に亘り徐々に現在の神幸祭として取り入れられ、寛政元年より文政2年にかけて持物道具の大改廃があり、放生会放生会として現在に残ってる姿である。
【放生会神幸祭の先立】十月一日:神社社務所倉庫より道具出し、各部落公民館に持ち帰り補修手入れをする。国信部落では、行列道具持人名簿作り・若殿の選定・奉納相撲取組寄付金徴収、小中学校に休学の願出た「放生会」が御幸行列その他一斉を司る。十月十日:神社御幸場の注連づくり大小十五本、今では若者が手ほどきを受けている。十月十三日:御輿三台の清掃と飾付けを行う。十月十四日午後一時:御旅所の草刈り清掃と忌竹等飾付けに相撲の土俵造り。十月十五日午後一時:各公民館より道具持ち一団となり神社に向う。国信部落区長を中心として、順序を読み上げ奴・笛・太鼓と列をなし神社に集合する。稚児は毎年30余名選出される。社諸所前にて着装、装束を身にまとい幟等を立てる。御輿組は四人一組で、三組次々にお祓いを受け御神体を移乗し終え、以上で準備完了。お旅所からは祭典の準備完了の報を受け行列が発せられる。
【お旅所】池田家より殿様行列御幸許可状が保存されてい、神社より一粁程南西の飛地境内に鳥居と御輿の御座所がある。行列がお旅所に到着、神幸の祭典と榊舞奉納を見、小中学生は相撲場へ。他の道具持参加者は祭典終了前、祭典終了後は御輿の本御神体が本の御座に還りまして終わり解散となる。
行列の総勢と形態・役付道具持人総員…280名/行列の長さ…150m/道具・持物の数…98個/御旅所迄の距離…1300m/行列の所要時間…60分/
【行列進行順序と人数】(1)御先払い…国信2 (2)御鼻高…国信2 (3)御目付…国信2 (4)御長箱…国信2 (5)御挟箱…国信2 (6)御草履取…国信2 (7)御対鎗…国信2・末長2 (8)御押鎗…国信2・末吉2 (9)御唐頭…国信2 (10)御鳥毛…国信2 (11)後台笠…末吉1 (12)御竪笠…末吉1 (13)御花徒士…国信21位 (14)御弓…国信3・大山口2 (15)御鉄砲…国信5・大山口8 (16)御八人…国信43位 (17)御持筒…末吉2 (18)御輿…国信2 若殿…国信幼児1 (19)御近習…国信2 (20)御挟箱…国信ニ番組 小年2 (21)御草履取…国信 小年2 (22)御長刄…国信2・大山口4 (23)御獅子…国信家伝1・大山口家伝1 (24)御挟箱…国信三番組 小年2 (25)御草履取…国信三番組 小年2 (26)御鷹匠…国信15位 (27)御餌指…国信1 (28)御旗鉾…国信6 (29)御笛…国信15位 (30)御稚児…氏子内38位 (31)御太鼓打…国信1 (32)御太鼓負…国信2 (33)御銘旗…末吉・大山口各1 (34)御幟持…末吉・国信・大山口・末長 各2 (35)御友持…国信7・末吉4・末長2・大山口2 (36)御眞榊持…大山口2 (37)御輿一番武内大明神…末吉4 御輿二番八橋大神…国信4 御輿三番若宮八幡…末長4 (38)御五色幟持…国信5・末吉3・末長4  (39)放生会委員…夫々の御輿には神職と総代部落代表がお伴する。
【備考】十五年前迄は、若殿の後に御姫様が続き、馬を飾付し晴着で乗馬、綱引二名と引馬一頭一名を従え、豪華であり、当り屋にとっては一生一度の晴れ舞台と誇りであったが、馬二頭は三日前から借入れ、衣装代他にこれに携わる人総て個人負担で費用と馬の飼育者がいなくなった事とで永年続いた姫様は終わりを告げていった。これに変わって若殿が淋しいということで各集落より小学生の女子全員に稚児行列に参加願って今日に至っている。