資料詳細

牛の舌祭り

基本情報

項目 内容
所蔵館 鳥取県立博物館
管理ID 04802
行事名 牛の舌祭り
行事名カナ ウシノシタマツリ
行事日 旧暦11月申(さる)の日
所在地 鳥取市気高町大字八束水小字姫路
行事概要 旧暦11月申の日の「牛の舌祭り」に備えて、前日の未の日に「牛の舌餅づくり」が行われる。旧暦11月に丑の日が2回あれば丑の日、3回あれば2回目の丑の刻(午前2時頃)までに姫路神社の神官は人々が参詣しないように、境内の出入り口4ヶ所にしめ縄を張る。この事は、祭神のスサノオノミコトが出雲で酒をつくり、オロチを退治して疲れて帰ってくるのが丑の日の丑の刻であることから、申の日の丑の刻までの一週間静かに休息してもらう伝説に基づいている。各家庭では今日から40年前までは、一週間分の食事を作っておき忌みこもった。当然農作業も慎み、食事は煮だめしたものを摂り、包丁なども高いところ(あまだ)に上げ、大声を出したり大きな物音や入浴も禁じた。これを氏子は「おいみさん」と呼んだ。さて7日目の未の日には、牛の舌餅が作られる。これは神官と小学生の男子による行事で、午後5時頃から神社に縁の深い福田家で始まる。福田家では餅米を一升ずつ二臼搗く。神官は藁すべをくわえ、もう一方の端を右手に持ち、それに巻きつけて細長くした餅を少しずつ切っていく。藁すべを使うのは、包丁が使えないからであろう。切った餅を平たく伸ばすのは、子どもたちの役目。長さ20㎝ほどの青竹の筒を転がしながら、牛の舌の形(長さ25㎝、幅10㎝)にする。二臼で1時間程かかる。完成した牛の舌餅は、なぜか昔から七つの箱に分けて盛られ、祭神が目を覚ます翌朝の申の日の午前10時、神社で行われる「牛の舌餅(新嘗祭、霜月祭)に奉納される。そしてさげた餅は、神官が祭りの奉仕者に、福田家は牛の舌餅作りに参加した子どもたちに、それぞれ配る。餅米は現在、福田家の田で穫れたものを用いるが、かつては「御供田(ごくでん)」と呼ばれる神社の田が谷の奥の字「九鳥(くどり)」にあり、下肥が禁じられていたという。この牛の舌祭りの起源は、大永年間(1521~1528)とも永禄年間(1558~1570)ともいわれるが、定かではない。